シベリア鉄道記が終わり、ちょっと間が空きましたが
久しぶりにまた、ユーラシア大陸鉄道横断の旅(TRANS-EURASIA)を書いてみようと思います。
やっと、モスクワに到着。
当時、モスクワでの宿泊はあらかじめ豪華ホテルが先方から指定され、そこにしか泊まれませんでした。
よって、貧乏旅行なので、なくなく2泊に。
モスクワでぜひ行ってみたかったのは、モスクワ大学。
行ってびっくり、えらくデカい!!
ふらふらしていると、どうやらサッカーをやっている生徒がいました。
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さっそく、仲間に入れてもらうことに。
スポーツには、言葉はいらない。すぐにうち解けました。
う〜ん、技では彼らに勝ったね!!!
でも、2〜3時間もやっていた(やりすぎ)ので、翌日体中筋肉痛に。 (T_T)
教室の中も見せてくれないかというと、その中の一人が
「今授業があるから、待っていてくれれば案内する」とのことなので、待つことにしました。
校舎に入ってみると、ドアなしのエレベータにびっくり(写真がないのが残念)
それで上まであがり、教室の中を案内してもらいました。
そのあとも、「街の中を案内してあげる」というので、
一緒に観光することにしました。
バス代を出してくれたり、アイスクリームを買ってくれたり、
とても親切にしてくれました。
(赤の広場にて)
(レーニン廟)
モスクワを走る車も、みなボロ〜い車が多く、真っ黒な排気ガスを出して走り回っていました。
シベリア鉄道、モスクワを通して、私が感じたものは、駅で食べ物を売りに来るちょっとデブッたおばさん達、そして、親切な若者。裕福ではないけれども、とても暖かなものでした。
それは、当初私が抱いていた当時のソビエト連邦というイメージとはほど遠いものでした。
モスクワの味ってどんなだろう。ネズナイカと食べてみたかった。
もなちゅうさん、
私にとって、モスクワの味って、あまくておいしいアイスクリームとボルシチの味です。
どこかの番組でも、今ロシア(モスクワ)。
それを見て、以前とはずいぶんと変わったように思いました。
が、今では街中を高級外車が走り、ファッショナブルな若者達の姿。
そして、彷徨う老人達。
経済の自由化にともなうインフレでロシアの物価は急上昇。 牛乳やパンの値段は15年前のおよそ70倍にもなった。 そのため高齢者は年金だけで生活できなくなってしまったという。
ロシアの国の人々にとって、どちらがよかったのでしょうか?
そして、これから、どうなってゆくのでしょうか?
その後、モスクワを発ち、ヘルシンキ(フィンランド)へと抜けました。
ソビエト国境では、検察官が私の貴重品袋の腹巻きを見て、日本語で「はらまき、はらまき」と。へ〜、腹巻き知っているんだ、と感心してしまいました。
もう、シベリア鉄道に乗っての旅行はたぶん出来ないでしょう。
でも、いつかまたモスクワへ、そしてレニングラード(サンクトペテルブルク)へもいつか行ってみたいと思っています。
いきなりとんだりし、順番が違ったりしていますが、以下はみなTRANS-EURASIAの一連旅なんです。


こんな写真をWeb上で見つけました。こんなの見るとまた行きたくなってしまいますね!
== これまでの「TRANS-EURASIA 1982」 ==
風車のある街
異国の地で、日の丸を作った日
TRANS-EURASIA-2 シベリア鉄道の旅
TRANS-EURASIA-1 旅立ち
TRANS-EURASIA (序章)?
久しぶりに読んで、吹いた
観光で大学を見に行って、普通3時間もミニサッカーやらないだろう、って...ww
投稿情報: akira | 2013/02/20 23:03