1982年7月11日。今から、23年も昔のこと。
スペインの首都マドリッド。
近くのデパートへ、白い布と赤いペンキを買いに行った。
日の丸を作るためだ。
当時マドリッドで、日本からの観光客が多く利用する、
ちょっと神経質なスペイン人のおばあちゃんが世話をしてくれる
「Amadio」という、ちょっと有名な宿があった。
そのおばあちゃんの名は、アデラおばさん、といった。
もちろん、英語も日本語もわからない。
部屋の中で日の丸を作っていいかと頼んでも
どうせ嫌な顔をされると思い、外の路地で作業することにした。
しばらくすると、アデラおばさんが窓から顔を出し、
「そこは駄目だ!中に上がって来い」と言っている。
そして、中に入ると
「このテーブルの上でやれ」
と。
びっくりした。
そして、私が作っているところを、遠めからニコニコしながら見ていた。
出来上がると、布をさす棒もくれた。
そう、その日は1982年サッカーワールドカップ スペイン大会決勝の日。
イタリア vs 西ドイツ
当時、日本サッカーは、オリンピック予選でさえ、
何度も何度も、「おし〜い」と、あと一歩が勝ちきれず、悔し涙を流していた頃。
ワールドカップなんて、日本サッカーにとって、夢のまた夢の頃だった。
ジーコが現役で、ブラジル全盛の時代。フランスには、プラティニがいた時代。
私にとって初めて生で見るワールドカップ。
運良く現地でチケットを購入でき、その中に決勝のチケットも含まれていた。
(バルセロナで、スタジアム周辺をウロウロ見学していたら、ちょうど5枚つづりのチケットが窓口で販売されていた)
その決勝戦で、日の丸を振るために、日の丸を作った。
そして、できた日の丸を片手に、心を躍らせ、サンチャゴ・ベルナベウ スタジアムへと足を運んだ。
「その国旗は、どこの国だ?」
「日本だ!」
「日本は出場しているのか?」
「No」
「...(苦笑い)」
「...(苦笑い)」
ハーフタイムには、その日の丸を目印に、ニコニコしながら、話しかけてくる日本の人に何人かあった。
ワールドカップ開催中、
試合のない日は観光をし、試合のある日はスタジアム、あるいは街中の陽気なバルのTVで
ほぼ1ヶ月間、スペインに滞在した。
ワクワク楽しい日々だった。
ワールドカップが終わると、スペインを離れ、また一人旅を続けた。
あの頃あった人たちは、今頃どこで何をしているのだろう?
会ってみたい。
== これまでの「TRANS-EURASIA 1982」 ==
TRANS-EURASIA-2 シベリア鉄道の旅
TRANS-EURASIA-1 旅立ち
TRANS-EURASIA (序章)?
何と、Youtubeに、日の丸を振っている私が写っている動画がありました。!
★Time Machine - 『三菱 ダイヤモンド サッカー』by take5t0ky0jさん
http://www.youtube.com/watch?v=WMXa2SlPByY
0:15 金子アナ:「何故か日章旗です! いつか振ってみたいものですね... 日本チームの前で振りたいものです。」
ははは、金子さんに紹介までしていただき、光栄です。 (^^)
投稿情報: akira | 2012/12/21 18:38