4月27日(火)晴れ 13時頃、ハバロフスクに到着した。待ち合わせ室で約1時間ぐらい待たされ、 14:20ハバロフスクを出発。 No.1 Train いわゆるロシア号だ。赤い車体。...
ナホトカからハバロフスクへ、そしてそこで乗り換えてそれ以降は一気にモスクワまで。
(途中、イルクーツクで降りて、観光する人もいたようだ)
いわゆる4人一組のコンパートメント式の部屋(B寝台)で、6日間の生活。
一人は日本人のIさんと、イギリス人女性2人だった。
歯磨きに行って帰ってくる途中、車掌に呼び止められ、車掌室に入れ、と言われたので 素直に入った。 すると、「そのジーパンを売ってくれ!」と、言ってきた。 (言葉はわからないが、ジェスチャーでそう言っているとこが理解できた。 1つしかないので、もちろんジェスチャーで断った。 すると今度は、「その時計を売ってくれ!」と言ってきたが、もちろん断った...
各車両に一人、車掌が割り当てられており、頼んでおけば朝コーヒーを運んできてくれたりした(有料)。
そんな事件の後、それ以上行ってこなかったし、別に気にしていないようだった。
上の写真が、その車掌。
食事は、食堂車へ行って食事。メニューは、選ぶほどなかった気がする。味は、まあまあだったように思う。
4月28日(水)曇り 車掌が入って来た。俺の時計を持っていた。 そうだ、顔を洗いに行ったとき、洗面所に置き忘れて来たんだ。 おどろいた。昨日は、この時計を売ってくれと言っていたのに。見直した。 お礼に、富士山の絵はがきをあげた。...
船の中で親しくなったオーストラリア人、アメリカ人、イギリス人などの友人と、トランプなどのゲームをしたり、パーティーしたりして、列車の中では、退屈する事はなかった。
途中、何度か駅に停車する時があり、停車時間が長いので、降りてフリスビーなどをして遊んだ。
また、現地のおばちゃんが、ミルク、ジャガイモやアイスクリームなどを売りに来ていたので、それを買って食べたりもした。
毎晩、上の写真のように1つのコンパートメントに集まり、パーティーといった感じだった。
5月1日には、通路に風船がつり下げられた。「メーデー」だそうだ。
後ろの車両にロシア人専用の車両がある、という話を聞いて行ってみたが
入れてもらえなかった。
逆に我々が乗っていたのは、外国人旅行者専用?の車両だったに違いありません。
5月2日(日)くもり ・・・ 腹もいっぱいになり、することがないので昼寝した。ぐっすり寝た。 夢をみた。 旅行を終えて日本に帰ったが、振り返ってみても何も面白いことがなかった 、というものだった。 ・・・ 明日でとうとうシベリア鉄道とも別れる。別に長いとは感じられなかった。 別れ惜しい。
へ〜、そんな夢を見たんだ。
さすがにこの辺あたりでは、疲れがでてきたんでしょう。
5月3日(月)晴れ 予定より30分近く遅れて、モスクワに到着。 ・・・ ホテルに着いたら、すぐに風呂に入った。8日ぶりに入った風呂は気持ちよかった。
当然、風呂、シャーワーなど列車の中にはありません。
横浜からの船を含めれば、確かに1週間以上風呂には入れない訳です。
そんなこんなで、シベリア鉄道の旅は終わった。
そして、モスクワで2泊し(ホテル代がえらく高いので2泊だけ)、また鉄道でヘルシンキへと抜けた。(つづく)
== これまでの「TRANS-EURASIA 1982」 ==
TRANS-EURASIA-1 旅立ち
TRANS-EURASIA (序章)?
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