4月24日(土) 出発だ。旅立ちだ。待ちに待った日がついに来た。 AM11:00横浜港大桟橋より、友4人に見送られ華々しいスタートであった。...
そんな書き出しで始まっている「Trans Eurasia」旅日記。1982年、もう23年も前の話です。
シベリア鉄道でモスクワまで行き、その後ヘルシンキへ抜け、うだうだしてスペインへ。ワールドカップ(82年サッカーワールドカップスペイン大会)期間中はスペインに滞在、券は現地調達して散見予定。その後、またうだうだして、ギリシャに帰りの航空券を買って帰ってくる。移動は、基本的に鉄道。
といういい加減な計画でした。いわゆるバックパッカー、放浪の一人旅でした。
怖い物知らずの、無謀?な旅。たよりは、当時創刊したての「地球の歩き方」だけが頼りでした。
TRANS-EURASIA (序章)?
...
当時書いていた日記もありました。気が向いたら、それらを見ながら、同じ日にゆっくり綴って行くのもいいかな、と...
気づいたら、すでに4/24は過ぎてしまっていました。まあ、ボチボチ書いていこうと思います。(いつまでつづくか?)
当時は、横浜港からソビエト連邦のナホトカまでのフェリー(バイカル号)がありした。太平洋沿岸から津軽海峡を横断して、2泊3日かけて、ナホトカに到着。
部屋は4人部屋で、それを2人で使うようになっていました。
船中では、日本に旅行に来ていたいわゆる外人さんたちと親しくなり、夜になるとロシア音楽の催し(パーティー)が行われたり、退屈するとこはありませんでした。
でも、そんな雰囲気も、ナホトカ港に近づくと一変し、船内放送も音楽もなくロシア語だけとなり、ちょっと緊張したになりました。
4月26日(月)晴れ 間もなくナホトカに到着。長いと思っていたが、実際はそれほど感じなかった。 軍服を着た人がうろうろしている。なんとなく異様。税関の雰囲気にもかなり圧倒される。 Iさんは、すべての荷を開けさせられ調べられたようだ。 ... 8:58PMナホトカ港駅に出発した。予定より、1時間ぐらい遅れた。窓から見える景色が非常に北海道に似ている。 室蘭付近か苫小牧付近に。 駅での写真撮影は、かなりうるさい、というか禁止されていると聞いていたが、 なんのなんの、みんな撮っている。しかし、きつい視線を投げかけられてはいたが。

私にとって、初めての海外。それがナホトカでした。それもあって、けっこう緊張していたとは思います。
そして、当時ソビエトは今ほど情報がOpenにされておらず、自由に旅行するというわけにも行きませんでした。
(あらかじめ、旅行代理店を通して、全日程とホテルを決めて申請しなければならなかった。ホテルは指定されたえらく高価なところだけ)
ここからモスクワまで、6泊7日のシベリア鉄道の旅がはじまりです。 ( つづく...)
(写真はアルバムからデジカメで撮影。)
== これまでの「TRANS-EURASIA 1982」 ==
TRANS-EURASIA (序章)?
コメント